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青島原人の手帖

さまざまな暮らしの肖像をスローに描いています。
暮らしのスケッチ カテゴリーの記事

「撮りためた映像昇天す」

昨日の朝、テレビから異常を告げるメッセージが流れた。
「端末機器電源不足により接続できません。コンセントを外し機器接続を確認して電源を入れ直してください」と。以前から不穏な前兆はあったのだが、遂に逝ってしまった。わずか五年でご臨終とはおいたわしい。もっとも365日ほぼ毎日使っているから負荷は相当なものだった。煩雑にオンオフを繰り返していれば消耗も早い。

HDDにコツコツ撮りためてあった映画、映像はテレビ本体コードに紐付けてあるのでテレビ買い替えの際に自動的に初期化(リセット)される仕組み。つまり運命共同体ということ。HDDはあくまで一時的な保管に過ぎないことを思い知らされた。それを防ぐには(現状では)ブルーレイレコーダーを導入しBlu-ray/DVDデスク板に焼いて保存するしかない。近い将来、映像音楽関連の視聴はすべてweb上ということになるだろう。

幸いなことに同型品番が型落ち格安で在った。大きさ今までの43型で十分。今回の事態に懲りBlu-ray機器を新たに導入することにした。これでお気に入り映画作品・映像はすべてDVDとして焼き板保存できる。それとてかってのレコード盤、フィルム8ミリと同じ道をたどることになる。個人で所有することにさほどの意味はないと見切っている。デジタル世界の不毛、魑魅魍魎ぶりには暗澹とするばかり。

電気製品いつかは壊れる前提で考えることが正しい。今回の「事故」遭遇で考えさせられた。
果たしてテレビは必要か?Blu-ray機器は必要か?そんなものなくても生きていけるじゃないか。(と書いているがすべて昨日のうちに発注手配を済ませている矛盾を笑うほかない。嘘つきカモメとは私のことだ。)
情報はラジオがあれば十分ではないか?世界を駆け巡るTwitter等SNSより手書きのハガキ、手紙が優れていやしないか?そんなに範囲を広げなくていいじゃないか。世の情報に触れていないと不安に駆られる心理は歪で不毛ではないかとか。

失った映像データ(シルクロード関連等)、映画作品のほとんどは市販されている。ありがたいことに図書館にもある。その気になればしレンタル、ウエブ視聴が可能なものばかり。相応のコストを払えばいいだけのこと。なまじもったいないから、貴重な映画だし再た観るだろう、、せっせこ録画した動機はどうやらそういったスケベ根性に起因している。
阪神淡路、東北大震災でいくつもの家屋が(モノが)海底に沈んで行く光景を観た身ではないか。あの世に旅立つからといって持っていけるわけではない。愚かなことと判っていても我欲の執着を離れることはなかなか難しい。バカは死ななきゃ治らないというけれど死んでも治らないのもいるなあ。(他ならぬ私)

「俳優田中邦衛を偲んで」

「若者たち」

遥か昔に見た「若者たち」。ラストシーンに流れた詩の一節だけが記憶に残っていた。フジテレビ開局50周年記念に再び世に出されたことを知り、どうしてもその詩編に触れたいものとTSUTAYAに脚を運んだ。全放送34話のどこにそれがあるのか判らなかった。一つ一つ視聴するしかないとNO.1〜No.15まで借出すことにした。今日、ようやくその詩編を発見した。ストーリーはまるで覚えていなかったのだが、三郎が大学構内に流れるマイクに向かって読み上げる場面は今視てもぐっと来るものがあった。幼い私に、その意味するところが判ったかどうか甚だあやしい。でも緊迫した状況はひしひしと伝わっていたはずだ。TVの画面を喰いいるように眺めたあの季節から数十年もの歳月が流れたことになる。田中邦衛、山本圭、栗原小巻、江守徹、加藤剛、蒼々たる役者が並んでいた。

17話 学校を去る友だち、その背中に向け学内放送を使って語りかけるように読み上げるシーン。

「友だち」

言うまでもなく素晴らしい黒いひとみの僕の友だち
太陽に向かって旗を押立て足音を響てて歩いて行く幾十万の僕の友だち
君たちの旗を、あの遊星に立てろ
新しい世界のまん中に立てろ

健康を誇る若者よ
幸福を運ぶ若者よ
形がないのに君たちには見える
音がないのに君たちには聴こえる

あの希望という確かな星を謙虚に勇敢に追い求めて行け
移ろいやすい疑惑でその旅を汚すな
悔恨の吐息でその旅を終わるな

険しい戦いのときが、蟷螂の斧を打ち砕き
毎日、見る間に押し流されて行っても
ときの間の敗北が君たちのある日を暗闇にしても
轟音を響てて地球が今、廻っていることを忘れるな

僕たちは僕たちの錯乱を信じよう
ざまもない失敗を堂々と誇ろう

未来は真っ白な手帳のようだ
新しく始まる音楽のようだ
風や雲や陽炎のように軽く
海や嵐や、大きな河のように力強く
僕たちは僕たちの車を押して行く

もっと緑濃い森の中に
もっと伸びやかな人間の世界に

言うまでもなくすばらしい真っ黒いひとみの僕の友だちよ
懐かしい友だちよ
見知らぬ兄弟よ。。。。。。


「もらい泣き」

映像 東北大震災

東北大震災からもうすぐ10年。
今朝、被災した中学生の卒業式模様をテレビを観た。亡くなった同級生に思いを馳せ、嗚咽を堪えきれない生徒の顔が映し出された。つい貰い泣き。家族を亡くし茫然立ち尽くしたあの日、家を、仕事を生きる生業を奪われた人、被災した人のそれぞれの十年の来し方を思い胸が塞がった。嗚咽した中学生も大人になった。それぞれの暮らしのかたちも様々に変化した。ふるさとを家族を失い絶望に倒れた人の記憶が薄れることはない。

あれから10年。私の10年はどうだったかと問いかける日。





「震源は福島沖」

一昨日の地震には肝を冷やした。まさに寝入りに就こうとしたときにグラグラが始まり、枕元のスマホが緊急を告げ鳴り響いた。小刻みの揺れが次第に大きくなり数十秒揺さぶられ、やがて終わった。震源は遠く、多分東北だなと分かった。10年前の東北大震災とは揺れ角度、振幅が違っていた。テレビニュースを見ると福島浜通り沖が震源地M6強めで津波の心配はありません、、、原発点検中と叫んでいた。、、。

事が起きるたびに地球物理学センセはああでもないこうでもないと能書きを垂れるが、本当のところ何もわかっちゃいない。地球内部の動き、環太平洋の火山線状に浮かぶ小さな日本列島のミクロ単位の揺れをどう予測できるだろう。サイコロの目、出たとこ勝負というのが現実ではないか。古代の民は不安に恐れおののいたことだろう。かくして民は太陽に、月に、山に、海に合掌するようになった。すなわち「宗教」の始まりだ。大正の関東大震災から100年、そろそろ来てもおかしくない。その日のために浴槽に水を張り、スマホ電源、食料、水、灯諸々の支度を怠りなく。

今日の映画「市民ケーン」

「市民ケーン」

昨日見た🎬の余韻で明け方に夢を見た。イベント設営で多くのスタッフと忙しく立ち振る舞っていた。書割の配置で揉め互いの意見が衝突し収拾が付かない状態。そこにスーツ姿の若き日の「舟木一夫」が現れ(なぜ舟木一夫かさっぱりわからん)私の方に歩み寄り名刺れを出して挨拶しようとした。こちらは仕事で薄汚れの出で立ち。慌てて名刺入れを出そうとするがジャケットにいれたまま。「すいません後でお届けします」とわけのわからぬことを口走った、、、そこで目が覚めた。

彼が収集した膨大な「ガラクタ」の山が焼却炉に放り込まれるシーンが記憶に刻まれていたらしい。映画史上最高傑作と名高い「市民ケーン」は予想した内容とまるで違っていて唖然とした。すっかりファシズムと戦う物語と予想していたが愛情を求め流離う物語とは露思わなかった。最後の一コマで「バラの蕾」の意味が判明する。人々はついにその意味を知ることはできなかった。
ケーンのトラウマは幼い頃に引き裂かれた母親の姿を求めることにあった。愛されたい願望を生涯持ち続け、ついに手に入れることができなかったという哀しいものだった。残された人々が謎の言葉「バラのつぼみ」の意味を探し求め、時間軸を遡って映像が進行していく。脚本、撮影技術は80年後の現代にも通用する画期的なもので多くの映画作品に影響を与えたとある。もう一度💽を視聴して振り返ってみよう。オーソンウエルズその名前こそ知っていたが作品に触れるのは初めて。
また夢を見るかもしれない。ところで、なんで舟木一夫が出てきたのだ?

「夜霧のしのび逢い」

朝のラジオで聞こえたもので検索した。ちなみに私の携帯着信メロディ、10年近くこれ一本。若いスタッフに「青島さんにもそういう時代があったんですね〜」と笑われた。(失礼な!)映画は観たことはないが調べてみた。演奏クロードチアリ。なんでも網走刑務所の就寝メロディらしい。ずいぶん洒落てるじゃないか。
映画作品はヒットしなかったが映像の一部があった。

⇩⇩
1963年封切り ギリシャ映画
🎬 「夜霧のしのび逢い」

作詞:ピエール・バルー、作曲:ジョー・ヴァン・ウェッター
日本語詞:岩谷時子

雨に濡れながら 夜ごとに心求めあう街角
切なくひと夜の夢結ぶ はかない恋よ
降り注ぐ雨 手のひらに 唇をつけて吸おうよ
静かにほほえみ浮かべては 交わそう 愛を
胸の乾きいやして また別れる街角
名も知らずに抱き合う あすのない街角

雨は恋を運んでくる 貧しい女の胸にも
口づけはいつも ほろ苦い涙の雨よ
ほろ苦い涙の雨よ



ペテロ(ディミトリス・パパミカエル)とエレニ(J・カレツィ)は恋人同士。しかしエレニは彼に自分のことを話そうとしなかった。何故なら彼女は、港町の特殊歓楽街で働いていたからだ。エレニの同僚メリーには、店に通ってくる年下の若者が、アンナには、老人だが好人物の船長が求婚していた。その頃、公娼制度が法律で禁止されるという噂が流れ、その年のクリスマスはエレニにとって最高に幸せな時だった。彼女は恋人といつまでも踊りつづけた。一方、複雑な過去を持つ掃除女カテリーナのもとに、昔の恋人が帰ってきたのもその頃だった。公娼禁止の法律が成立した。同時に、皮肉にもそれぞれの女たちのうえに、次々と不幸がやってきた。アンナは船長遭難の知らせを受け、エレニの恋人は去っていった。何故なら、彼女に横恋慕していた男の口から、彼女の商売が知れてしまったからだ。そして、メリーさえも、若者の叔父の反対で結婚できなくなった。あらゆる哀しみと感傷をたち切り、過去を清算しようと決心したエレニの前に、恋人ペテロが再び現われた二人で新しく出直そうと……。そして急に淋しくなった歓楽街を、カテリーナが恋人とゆっくりと歩いている。二人はもう老人だが、山小屋での静かな生活が待っているのだ。


flower yuriさんの感想コメント引用

1 か月前(編集済み)
20代の時、貴方とこの曲を聞きながら、将来を語り合いました
貴方は、父親を亡くした後、父親代わりに、母親、そして弟、妹の学費を稼ぐ為、河合時計店の職場へ、、、
私は、上京したかったので、上京する事に、、、
いつも、私が東京で、生活が苦しくないかと、電話で、心配してくれる優しい人でした。
貴方の会社の旅行、万博の帰りに、私に話があると、電話があり、東京駅で会いました
貴方は、「母、弟、妹が住んでいる家を離れて、自分も上京する」と、、
でも、私は首を縦に振れなかった
家族思いの貴方が、私を選択してくれたのに、、、、、
私も10歳の時、事故で、父親を亡くしているので、貴方の家族に淋しい思いをさせられなかった、、
手を握り会う。そんな、淡いあわい初恋でした、、、
それから、、、、会う事もなく、、、
50年が経ちました
数年前、私は、8時間の癌の手術を乗り越えました
貴方は、お元気ですか?
コロナ禍、お身体、何ともないですか?
東京は、1400人越えました
貴方は、今、何処で2021年を迎えたのでしょう、、
元気な内に、一目お会いして、素敵な昔話をしたいです
追伸
コロナ禍で、永井さんは、お身体、大丈夫ですか?
生きている内、私、百合子は、永井さんにお目にかかりたいです
どうか、この思い出の曲が、私達を引き合わせてくれます様に
百合子と分かりましたら、連絡下さい


筆者は自らの余命を悟りコメントを書いたのだろう。その思いが届けばいいなあ。
人の数だけ出逢いがあり別れがある。嘆くなかれ花は散り草は枯れるのだ。


「あーやだやだ」

話題はコロナのことばかり。昨日も今日も、話題にならないことはない。戦時のB29飛来を告げる空襲警報もこれほどではなかっただろう。まして当時はラジオしかなかった。現代はテレビはあるわ、ウエブスマホはあるわ。心ざわつくニュースは枚挙ない。情報が多過ぎるのだ。あーやだやだ。

肩注射が効いているようで八日経った今でも痛みを感じない。臨床経験豊かな担当医の薬の配合がよほど良かったのだろう。調べたところ某大学病院に長らく勤務した人のようだ。担当医の判断と匙加減もさまざまだ。どの医者にあたるかこればかりは判らない。このまま寛解してくれればいいのだがそうは問屋が許さないだろうなあ。鎮痛湿布テープと塗り薬は欠かせない。明日午前は暮れに受けた胃の細胞診結果と前立腺検査の結果を聞きに病院に赴く。午後も二ヶ月に一度の内科診察がある。あーやだやだ。

毎日コロナニュースを聞くのも、あーやだやだ。

おんもでたい

実際、図書館とスーパー以外に出かけるところがない。お上の言う通りに蟄居閉門生活を送っているが溜まる欲求不満をいかにせん。在宅オンライン勤務の相棒も「おんもでたたい!おんもでたい!」と眉間にしわ寄せてつぶやく。昨年以来の蟄居生活、さすがに疲れてきた。まして若い世代にとってはしんぼうたまらん状態だろう。七日以降の体制がどうなるのかわからない。ホンマえらいこっちゃなあ。水温む春間近というのに、これではなあ。コロナに罹患しても診てくれる病院がないという現実がひたひた押し寄せているようでおっかない。ワクチン接種のスケジュール化もいまだ明らかになっていないのも不安を煽る。現場の混乱ぶりが偲ばれる。ワクチン打ったからといって直ちに効果があるのかも分からない。そんでもってオリンピックは絶対やるとのたまう神経が分からない。お金絡みの網でがんじがらめになっているのだろうが、マスコミ、メディアも緘口令敷かれているようでだんまり模様。うっかりオリンピック開催に物申せば後々難題を振られるのが敵わないからだろう。戦前の言論統制に酷似しているなあ。ある日突然「こうなっていた」では済まされない。政治に無関心であってはならないとしみじみ思う。野党のスタンドプレイは目に余る。反対することが存在意義なのだから致し方ないが、言葉尻を捕まえることしか能がないのはいかがなものか。シャドー内閣を作って政策提案というふうには動かない。選挙間近に控え与党支持率下げることに狂奔する図ばかり見せつけてくれる。

少年老いやすく学なりがたし



700ページに及ぶ手にあまる重たい書籍。😀。正月三日に書店を訪れた折、既読の「サピエンス全史」の傍に山と積まれていた。冒頭数ページを散らし読みし大いに感ずるところがあったので目出度くお持ち帰りとなった。以来、積んだまま放置しておいた。好奇心の🔥を燃やすために、軟化溶解著しい灰色の脳細胞活性化のために、ぼちぼち読んでみようかと。20ページづつ刻読みすれば一ヶ月ほどで読了できるだろう。辞書のように使って欲しいというのが著者の意図らしい。

脳細胞活性化といえばブログ再開も課題のひとつ。凝って取り入れたブログパーツも盛衰著しく使えないものも多い。手入れして編成し直そうと思う。(数年前から思っていたのだが、、)書き溜めたメモ、記録も載せて行こう。焦ることはない。ゆっくりやればいい。ツイッターは、その時々に感じたこと思ったことを「呟く手段」として良いのだけれど制限文字枠140文字では収まりきらないことが多い。自己承認欲求を満たすなど露思わない。そういう時代は既に過ぎた😀。時代を知るアンテナとして割り切り活用すればいい。新聞、webは提灯記事ばかりで信ぴょう性に欠ける。鑑賞した映画、読んだ本のログ機能を持たせる保存機能としても使えそうだ。



読了し、再読精読中。映画鑑賞の基礎と1930年頃から始まった映画の時代背景を知る参考資料になる。📺BSとDVD、図書館蔵書資料があれば視聴するに事欠かない願ってもない環境下にある。映画「地下鉄に乗って」の画面に有名な「オデオン座」の映像が使われていた。通い詰めた映画館であったと著者が触れている。私の住んだローカル田舎町にそんな洒落た映画館はなかったなあ。

シルクロードの彼方

岸を離れ海に漂う暮らしを始めてかれこれ四ヶ月経った。緩んだパンツのゴムのようにのんべんたらり、ただただ喰って寝て、本を読み散らし、映画を観るトド的生活を送っている。コロナ菌が巷に溢れ窮屈極まりない。政府支持率が40%切っただのと世間はなにかと姦しい。新聞、ネットはこれみよがしの提灯記事で溢れている。その世評世論にいちいち拘泥して義憤激情に駆られるのも愚か。自己承認欲求を満たすべく動く時期は終わった。これからは「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」日和見モードでいこうと思う。

コツコツ断捨離を進め身軽になったかと思いきや意外にも捨てるものがまだまだあるようでうんざりする。学生時代はリヤカー一台に収まった家財道具がなんでこんなにあるのだと自問するのだが、これが所帯を持った暮らしの垢というものだろうと納得するほかない。
仕事の夢も見なくなった。組織人として在った日々は地球自転に伴う摩擦雲のように遠心分離され遠く離れて行く。昔から言うじゃないか「去るものは日に日に疎し」と。そうでなくては生きていけない道理だ。

正月三日に丸善で求めた「独学大全」をようやく紐解く。このテキストを拠り所に「学ぶ」ことを始めてみようと思う。晴耕雨読するにせよ好奇心の指標は必要だろう。長安から遥かローマを目指したシルクロード民のように、ゆっくりと歩き出す。熱砂のタクラマカン砂漠を越えヒマラヤパミールの峰を越え、想像力を友としてひたすら西へ歩を進めて行こう。何を見て何を感じるか、森羅万象これからのお楽しみということ。旅の途上でくたばっても、それはそれで仕方ないこと。人生いたるところに青山あり、住むところがあり食べるものがあり語り合う伴侶がいる、もうそれだけで十分ではないか。
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Life Log Notebook 翼よ、あれが巴里の灯だ!、、なんちゃって。
本の森逍遥 あんさん、いま何処にいてはるん?
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